tokyocabinチャンネル:「海の見える街の母よさらば」MVと高畑勲の偉大さを思い知る『母を訪ねて三千里』第1話

   

高畑勲監督の名作アニメ『母を訪ねて三千里』でMVを(こっそり)作ってみました。
*歌詞のタイミング訂正のため、動画をアップしなおしました。失礼いたしました。 12/25 20:25

「海の見える街の母よさらば」A Farewell to A Town With An Ocean Sea (Kiki's Delivery)

https://youtu.be/MayyXChvX-c

YouTubeでたまたま見た(というかAIに勧められた)『母を訪ねて三千里』の港の別れのシーンがあまりにも歌詞にピッタリくるので、MVにしました。ただ、歌の場合の視点は主人公の少年マルコではなく、アルゼンチンへと旅立つ”母さん”となります。

「海の見える街」の歌詞 by tokyocabin

1番

A

波止場を過ぎる鷗
行先も知らないで 
わたしも別れ 告げず
飛立つの この街を

A
伝えたいことほど
言葉にならないよと
あの人の呟き
ふと風に紛れたの 

B 
茉莉花の花 はしゃぐ白 
溶樹の蔭 揺れる蒼
愛し景色を虹と違えて ほら
汽笛の響く 

A
朱く燃ゆ夕陽も
やがて昴と冷える
今はただ潮鳴りに
こころ浸しつづける

100年分のエイジングを施した理由は…お察しの通り著作権問題です。いちおう、アップすること自体は問題ないのですが、そのままだと、日本・台湾・香港、その他アジア諸国では閲覧できなくなります。わたしにとっては、この三か国を除いた世界に意味はありません(きっぱり)。なので、検閲を潜り抜けるべく加工を施しました。お見苦しい点は”演出”と思って堪忍してつかぁさい。

それにしても、高畑勲さんの演出、凄まじく良いですね。第一話については、演出やコンテも担当なさったとのことで、完全な高畑作品です。別れを前に子供のための楽しい思い出を作るシーンの大人の様子など、実にデリケートな映画的演出。そして甘えん坊のマルコが母との別れを受け入れた後、「母さんを迎えに行く」という目標を設定し、一気に成長するするシーンは衝撃的です!

一話に限ってはYouTubeでフルで閲覧できます。

映画並みのリアリズム『母をたずねて三千里』第1話「いかないでおかあさん」(監督・演出・コンテ、全部高畑勲!)1976

https://youtu.be/t-IypcVaF_4

846,303 回視聴2009/12/21

そもそもなぜ母さんはアルゼンチンへ? なぜそれをマルコが一人で探す?

なぜマルコの母親がアルゼンチンまで出稼ぎに行くことになり、なぜマルコが一人で母親を探しにアルゼンチンまで行くことになったか? 原作の『クオーレ』短編に理由が書かれておらず、アニメを制作する際にこれらの設定を考えるのに苦労したという。最終的に、父親は貧しい人のために無料で診察できる診療所を作ろうとして借金を抱え、その返済および生活費を稼ぐため、母親がアルゼンチンに出稼ぎに行くことになり、その後連絡が途絶えた母親を捜しに行きたくても、父親は診療所を閉鎖する訳にもいかず、また兄も鉄道学校で機関士の見習いをしているので学校を休む訳にはいかず、その結果マルコがアルゼンチンに行く、という設定となった。

母をたずねて三千里 - Wikipedia

とにかく原作が短編なもんで、無理くり話を作ったんですね。でもその無理くりさがかえって真実味を与える気もします。人生なんて、出たとこ勝負。流れの論理付けはいつも後付けですから。

シンプル版「海の見える街の母よさらば」

https://youtu.be/pmN3ivEsYmY

あまりに見づらいので、シンプル版も作りました。言いたいことは「かあさん、行かないで!」です。

まとめ

そもそも高畑勲さんって、翻訳なさってたんですね。感情表現などにおけるリアリズムの追及、というのは、一種”丁寧な翻訳”とも言える気がします。

生い立ち

1935年(昭和10年)、三重県宇治山田市(現・伊勢市)で、高畑浅次郎[5]の子として生まれる。1943年(昭和18年)に浅次郎が岡山一中校長となり、岡山市へ転居した[6]。9歳のときに岡山市で空襲に遭った。これが高畑の人生における一番強烈な体験だった。高畑はすぐ上の姉とともに家族とはぐれ、火の雨と猛火のなかを逃げまどい、川のほとりで明け方に冷たい黒い雨に打たれていた[7]。

上京した大学生時代にフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品と出会い、影響を受け後に彼の名詩集《Paroles》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事を行う。また、フランスの長編アニメーション映画でプレヴェールが脚本を執筆した『王と鳥』の字幕翻訳も手がけた。『紅の豚』の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。東京大学文学部仏文科卒業。

日本アニメーションに移籍
ズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)に移籍し、『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』の演出を担当、海外ロケハンや徹底的に調べ上げた資料を元に生活芝居を中心としたリアリズムあふれるアニメを構築した。場面設計だった宮崎駿、絵コンテを担当していた富野喜幸に与えた影響は大きい(詳細は後述)。『未来少年コナン』では数話のコンテ・演出を担当し、初監督で苦しむ宮崎駿をアシストした。

関連動画

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