温故知新◆「リンゴの唄 」(1945年)親を失い涙をこらえ、笑って歌った並木路子

そりゃ「リンゴはなんにも いわないけれど」なんだが、あえて入れるところにいわんとしているところ。直接は「いわないけれど」、そして、決して「いえないけれど」。詩人サトウハチローの本領。

映画『そよかぜ』の挿入歌  リンゴの唄 (1945年)

https://youtu.be/NmMXIMDa3Tg

そよかぜ ~ リンゴの唄 ~(1945年) Breeze ~tiny apple song~ (1945)
3,966 回視聴2019/08/03  

「リンゴの唄」並木路子(映画後半クライマックス)

https://youtu.be/VDieNMkohEY

リンゴの唄~映画『そよかぜ』より
424,620 回視聴2009/04/10saraba9oibito
チャンネル登録者数 982人
作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正 歌唱:並木路子

構成演出:佐々木康 脚本:岩沢庸徳

『リンゴの唄 』の歌詞

サトウハチロー作詞・万城目正作曲

赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
リンゴ可愛(かわ)いや可愛いやリンゴ

あの娘(こ)よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
みんなで歌えば なおなおうれし
リンゴの気持を 伝えよか
リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

メモ

そりゃ「リンゴはなんにも いわないけれど」なんだが、あえて入れるところにいわんとしているところ。直接は「いわないけれど」、そして、決して「いえないけれど」。詩人サトウハチローの本領。

制作について

サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。というのがこれまでの定説化した話であったが、出版文化研究家の永嶺重敏が当時の文献を調査した結果、1946年の雑誌記事でサトウハチローが「映画の脚本を読んでから詞を書いた」と記述していること、さらに佐々木康監督も晩年に「映画の脚本をサトウに持たせて詞を書かせた」と発言していることから、詞を作ったのは戦後であると結論づけている[5]。曲は映画の撮影が始まっても完成せず、作曲者の万城目正は秋田県のロケ先へ向かう汽車の中で曲を書いたと回想している[6]。

可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなった。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出されている。

「リンゴの唄」吹き込みの際、万城目正はたびたびダメを出し「もっと明るく歌うように」と指示したが、この注文は当時の並木には酷だった。並木は戦争で父親と次兄を亡くし、自身も1945年3月10日の東京大空襲で猛烈な火炎に追われ隅田川に逃げ込んで助かったものの母親を亡くしていたのである[7][8]。さらに大空襲で大勢の人々が死ぬのを目の当たりにし、どうしても明るく歌えない並木に万城目は「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれた[7][8]。

リンゴの唄 - Wikipedia

社会現象

何もないインフラ、凄まじいインフレの世

https://youtu.be/uk5Nhma2tBg

リンゴの唄 ♪並木路子・霧島昇
14,059 回視聴2020/07/02

”生きずらさ”が叫ばれる現代ですが、戦中戦後を生き抜く苛烈さは異次元。

子供の頃はなんとなく観ていた敗戦の映像ですが、戦前の帝都と人々の文明文化度の高さを知るにつけ、愕然とします。そして、”戦場”ではなく市民の生活する都市と生活を一夜にして葬り去る米国の空襲作戦は犯罪だと思う。

まとめ

敗戦の年に生まれた歌、という意味で、間違いなく、日本のポップス曲における最重要曲。「人を元気づける」とう歌の第一の使命をここまで全うした曲はない。それほど日本の敗戦は決定的であった。そして、この曲以降、日本のコンテンツ全て(映画、歌、書籍など)の背後には、当然GHQがあることを忘れてはナリマセン。

進駐軍が歌うリンゴの唄

https://youtu.be/iB8BLQTfSw47,572 回視聴2012/08/17AylerGhosts
チャンネル登録者数 1250人
In 1946, an army of occupation sings Ringo No Uta.

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